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富士山はそこにあるのか?


東海道新幹線から富士山を見る。
今日は、テッペンが雲で覆われているが、
どうやらそろそろ雪化粧の様子。

富士山の前を通過しているわけではない。
自分の前を富士山が通過しているのだ。

人はまるで自分が風景の中を動いていると思いがちだが、
実際は自分の周りで風景が動いている。
まあ、あれだ。自分が身体を動かしている、
もしくは乗り物が動いているようにみえるのだが、
意識というものが移動しているわけではない。
意識はただあるだけで、どっかにいったりきたりはしない。
どこにいようと、自分を中心として
全方位に世界がひろがっているだけだ。

意識が外界を感知しているのではなく、
意識が外界を創造している。
例えば、目の前にある物を取るとしよう。
確かに手のひらにはその物が乗っているのが見えるし、
肌ざわりも重さも感じる。
でもそれはその物を実感しているのではなく、
意識がその物を認識させているのだ。
手に取れるから在るではなく、手に取りたいから在る。

とどのつまり、意識が脳という機関を通して五感を創造し、
その物をあたかもリアルであるかのようにつくりだし、
それを体験しているというわけだ。

このことを集合的無意識で構築しているのが、
この世界でもある。
なので、富士山もそこに富士山が在るから在るのではなく、
富士山があることを創造しているからそこに富士山がある。
反対にいえば、富士山を人々が創造しなければ、
富士山はそこにはない。
人が創造(想像)できないものは、
この世には存在しない(できない)。

これはたんなる妄想だけれど、
量子力学の観点からいえば妄想ではない。
てなことを真剣に研究している科学者は世界にけっこういるわけで、
その人たちのことをキチガイと呼ぶ人こともできるけれど、
それを否定できる材料も理論も、
実は今の常識科学にはなかったりする。

科学ではこの世界のほんとうの姿は証明できない。
何故なら、今の科学は観察者と非観察対象で成り立っている。
でも、観察者である我々が何者であるかが証明されてはいない。
つまり、実体の定かでないものが観察している時点でアウトなのだ。

では、観察者であるわれわれの実体とは何なのだろう?
それはもう意識以外にはないのではないか?
そしてその意識はただここに在るだけだ。
そこには観察者と非観察対象の区別はない。
この世界そのものがすべて意識に内包されている。

まあ、科学者が証明しようがしまいが、
リアルだろうが意識の産物だろうが、
この世界が在るというのは間違いない。
リアルとは? マトリックスとは?
まあ、どっちでもいいいことだ。
この世界にどっぷりつかっている人にとっては、
そんなことを思うこと自体を創造していないのだから。

酔っぱらいの戯言 | 23:50:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
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