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時間よ止まれ
120220.jpg


ここ最近、時間が経つのが速い。
歳を重ねるとどんどん速くなるというのはよく言われること。
諸説あるが、5歳の子どもの1年は5分の一、
対して50歳の大人の1年は十分の一、なので短く感じる。
新しい経験がなくなるので記憶に残ることが少ないので、
振り返ってみると1年前がすぐこの間のように感じる。
どちらももっともらしい。

このままでは、残りの人生があっという間に過ぎてしまいそうだ。
幸せな気分のときなどは、このまま時間が止まってくれてら、
なんてことを思いたくもなる。

昔は時間を止める少年がいた。
手塚治虫の漫画「ふしぎな少年」は、
昭和36年4月から翌年3月までNHKで実写TVドラマとして放映され、
「時間よ止まれ!」のセリフで有名だ。
主人公の少年が時間を止めて、悪を退治するといった内容なのだが、
少年が危機に面すると「時間よ止まれ!」のセリフが、
水戸黄門の印籠のように出る。

当時は放送の大半が生放送だったこともあって、
時間が止まるシーンは、役者が坊さんが屁をこいた状態に
身体を静止させて表現していたという。
妙な姿勢で止まってしまうと、
バランスを崩したりぷるぷる動いていたりして、
ドラマの内容よりそれが面白かったという、
役者さんにとっては笑えないエピソードがおかしい。

さて、今この瞬間「時間よ止まれ!」と叫んでみたら、
どうなるのか?
実はその瞬間に時間は止まるのである。
正確にいえば、時間があるものと錯覚している脳が、
一瞬、えっ???と思って、我にかえるのだ。

そもそも、この世界には時間というものは存在しない。
何故ならここには今しか存在しないからだ。
過去は記憶、未来は想像にすぎない。
あるのは永遠に続いている今だけ。
この瞬間も次の瞬間も、そのまた先の瞬間も、
どこまで行っても今しか存在しない。
ほら、今は今だし、ほらこの今も今でしょ。

時間というのは人の思考が作り出した産物で、
もともとからこの現実に存在していたわけではない。
例えば、机の上からボールペンを落とすとしよう。
ボールペンは机から床の上までの距離を移動するわけだが、
その事象を空間的に計測するために考え出された基準が時間なのだ。
大きくいえは、森羅万象が変化していくさまを把握するために
時間が考え出された。

つまり、時間とはなんぞや?を簡単にいってしまえば、
自分の周りの世界は自分の身体も含めてたえず変化していて、
それをきちんと認識するために基準が必要になり、
そのために時間の概念が考えられ時計が発明された。
時間とは時計が測る変化の度合いをさす。

これはこの世界が変化を基準としている世界だからありうる話で、
物質世界にある肉体を持って経験する世界ならではのこと。
物質には原因と結果の間にタイムラグがあるので、
それを時間として認識してしているわけだ。
別の形態の世界、例えば意識だけの世界があるとしたら、
物事は思い浮かべたその瞬間に実現する。
つまり原因と結果は同列だということ。
頭の中でイメージしたことは瞬時に現実として現れ、
そこには時間の概念は存在しない。
夢の世界がこれに近いといえる。

人も本来は意識がこの世界を認識しているのだが、
肉体という物質を通してそれを見ているので、
そういう意味では時間は人がいるから存在し、
人がこの世界では生きていくための、
必要不可欠な道具といえるかもしれない。

もし、時間がこの宇宙の法則か何かだったら、
正確に時というものを刻み続けているはずだ。
実際にも時計の針は規則的に動いている。
ところが、同じ時間でもその長さは人の意識によって変わってくる。
1分は時計の長針が一回転するのことだが、
それを体感するのは人の意識。
その長さは人によっても違ってくるし、同じ人でも、
そのときの意識の持ちようによって変わってくる。
あっというまに時が過ぎ去ったり、
なかなか時間が経たないと感じたり。

時間というのは概念なので、決まった長さはない。
それは文字通り時間の長さが意識によって違ってくるからで、
時間が法則か何かだったら、そんなことは絶対にありえない。
誰にとっても等しく、1分は1分の長さのはずである。
そう、時間の尺度は物理的には一定ではあるが、
意識的には人の感じ方によって左右されるのだ。

繰り返しになるが、この瞬間の今には時間は存在しない。
ただ、意識がみている夢が現実化しているさまが
目の前に順序だって展開しているだけだ。
時間は人のつくりだす幻のようなもの。
過去や未来は時間がつくりだす幻のようなもの。
人が過去の事を思い浮かべたり、未来の事を想像したりしすると、
今は自分の前から一瞬にしてどこかにいってしまう。
その間、人の意識は今におらず、過去や未来に存在するが、
どちらも人の意識がが時間という概念をもとに作り出す幻想に過ぎない。
つまり、心ここにあらずってやつだ。

では、「時間よ止まれ!」のセリフで
時間が止まってしまったらどうなるのか?
時間はもともと概念なので、
現実的に時が止まる、変化がなくなる、
何も変わらないということ。

ただ、それは物質世界だけの出来事なので、
「時間よ止まれ!」と叫んで仮に時間が止まっても、
意識の世界には時間は存在しないので、意識が止まるわけではない。
「痴漢よ止まれ!」といっても痴漢が逃げていくのと同じく、
意識の現実化も止まるわけではないので、
現実の何かが変わるわけでもない。

ただ、時間が止まるとということは、
たえず変化する外界や想像の世界にとらわれることがなくなるということで、
これがつまり悟りの境地にふれるということでもある。
今この一瞬に生きる。
禅に「喝ッ」という言葉があるけれど、
あれは心がここにあらず、意識が過去や未来に行ってしまっているのを、
今この瞬間に連れ戻してくれる言葉。
つまり「時間よ止まれ!」みたいなものなのだ。
そう、今この瞬間だけがほんとうの世界。
人が本来いる場所は過去でも未来でもない。

さて、時間の経過が速いという話。

歳を重ねるにしたがいしがらみが増え、
、過去や未来にとらわれるようになる。
意識が幻である過去や未来にほうけていると、
肝心の今がおろそかになって、
人はその間、生きることを放棄しているに等しい。
毎日のルーティーンの行為のように、
ほぼ自動操縦のように行動していても同じ事。
経験を積めば積むほど、無意識せ行動することが増えてくる。
そういう状態では現実の世界に存在していないに等しいので、
変化が少ない、イコール時間経過が速いということになる。

反対に今にきちんと意識をあわせていると、
いろいろなことに気づいたり、
さまざまな事が流れにのって円滑に進んでいったりする。
今まで1つしかできなかったことが、
同じ時間の長さの中で3つも4つもできたりする。
そういう状態では、意識は現実に集中しているので、
変化の度合いが大きい、イコール時間経過が長い。

とどのつまり、過去でも未来でもない、
自動操縦でもなく今この瞬間に意識的であり続けることで、
意識は現実世界の変化にシンクロして生きる。
それが生をまっとうすることでもあり、
人生で様々な経験を享受する術なのだ。
すなわち、それが時間を長くするコツでもある。

などと時間について妄想してみました。
おっと、もうこんな時間だ。
妄想は心ここにあらずってことで。

酔っぱらいの戯言 | 23:48:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
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