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ヒトゴミ
 

近ごろ、街を歩いていて感じることがある。 
大勢の人がいたとしても、存在感がないということ。
 
確かに、新宿や渋谷にいると、 
道を歩くにも苦労するくらいに人はたくさんいるのだけれど、 
何故だか、彼らが実際にそこにいるという現実感がともなわない。 
何やら3Dのホログラム映像を見ているような感覚に陥るのだ。 
 
これは、繁華街に限ったことではなく、 
自分の周囲の現実すべてがまるで映画でも見ているかのように、 
現実感の希薄な世界が目の前で繰り広げられている気がする。 
起こる出来事が予定調和に思えたり、 
昨日のことがまるで夢のように思えたり。 
  
昔はこうではなかった。 
人も物も環境も、すべてが息づいていた。 
この世界はリアルに満ち満ちていて、そのまっただ中に自分は存在していて、 
世界の存在感をダイレクトに感じていた。 
それが特にここ4、5年くらいのうちに、世界がみるみる薄っぺらくなっていき、 
今やまるで映画の台本を先読みしているような感覚になってきている。 
 
それは、外界への反応こそが現実認識だったのが、 
逆に、精神の反応が外界そのものを認識させている、 
つまり、自分の意識そのものが外界をつくっているのでは? 
ということかもしれない。 
 
これはまさしく、 
現実にはあらゆる可能性の世界が重なるように存在していて、 
それを決めるのは意識にほかならないという、 
量子力学の世界観と一致する。 
 
現実はすべて意識がつくり上げている。 
こういう考え方は昔でいうニューエイジ、 
今でいうとスピリチュアルの思想で目新しくも何でもないのであるが、 
20年前は気違いあつかいされたそういうことすら、 
最近は一般書店にコーナーができるほどになってきて、 
ましてやそれを実感するとなると、 
時代はいよいよ大峠にさしかかったのかもしれない、 
という気になってくる。 
 
そんなことを思っていると、 
足の小指を柱の角にひっかけて思いっきし涙目になって、 
ああ、やっぱりこれは現実なんだ、なんて思ったりもするのだがね。

酔っぱらいの戯言 | 23:24:31 | トラックバック(0) | コメント(2)
コメント
No title
性欲があると、そうゆうふうには感じられないのです。爆
2011-07-15 金 14:24:39 | URL | MQ~ [編集]
No title
MQ~さん

それは極めて正しい感覚です。
肉体を主とするか、精神を主とするか、
ただそれだけの問題なのですよん。
2011-07-15 金 16:39:37 | URL | 本人 [編集]
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