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誰もいない妄想の海


今日も駅前の喫茶店で時間をつぶす。

隣りの席では奥さま2人が、かれこれ2時間以上もマシンガントーク。
女の人のおしゃべりは男からすると、想定外のレベル7だ。
内容はといえば、たわいもない四方山話なのだが、
日本全国のこの手の喫茶店の昼下がりでは、
同じような光景がそこらじゅうで繰り広げられているのだろうとふと思う。

話す内容もまるでプログラムされているかのようにだいたい同じで、
呑み屋でおやじが話している内容も似たりよったりだが、
人の営みというのは、とりたてていうほど特別なもんでもなんでもなく、
各個人がおのおの自由に生きているようにみえても、
実はみんな同じような生活を同じようなことを考えて暮らしているにすぎない。

渋谷のスクランブル交差点は、
青になると一斉に渡り出す人であふれかえるのだが、
時間帯でみればその数はだいたい同じ。
電車の到着する時間はまちまちで、
街を歩いているひともそれぞれの用事があるはずだが、
どうしてこの青はめちゃ混みで、次の青は人が少ないなんてことが
ないのだろうか?

藤子不二雄の漫画に、
夏のある日、その日はたまたま誰も海に行こうとは思わず、
恋人たち二人だけのプライベートビーチとなった、
なんて物語があったけれど、
現実の世界でそれは、台風の日に泳ぎに行くでもしない限りありえない。

統計というものがあるが、そのサンプル数は以外と少ない。
例えば、テレビの視聴率の調査件数は、
関東地方の世帯数約1800万世帯で600世帯のみ
少なくてもある一定の数を調べれば、
全体は把握できるという理屈で成り立っている。

そこには個性というものの介在する余地はあるはずなのに、
たまたま変わりものが調査対象の半分以上だったり、
調査時にたまたま体や精神の状態がわるい人が多かったりすれば、
おのずと結果に左右されるはずなのに、
それさえも統計のマジックかといわんばかりに、
極端な結果が出る可能性のあるサンプルが選ばれること自体が、
最初からありえないかのような結果が出る

人はみな自由意志で動いているようにみえて
それは例えば蟻の列のように
ある目的に向かって進んでいるだけなのかもしれない。
蟻の中にもたまに変なやつが群れをはずれて彷徨っているけれど、
それも統計の範疇のイレギュラーでしかない。

蟻は一匹一匹の個性で動いているわけではない。
みんなで協議して相談した結果、
あの食べ物を取りにいこうなんて思ってるわけではなく、
その蟻の群れがひとつの意識であって、
彼らはその意識にしたがって行動しているだけだ。

人の意識もおのおの個別に存在しているかと思いがちだが、
実は大きなひとつの意識がそれぞれ別のたくさんの肉体に入っている
と考えてみてはどうだろう?

つまり、人はみな基本的に同じ意識で、
育った環境や遺伝による個性という味付けはされてはいるが、
私とあなたの違いはその味付けだけにすぎなく、
その味付けが入れ替わってしまえば、
私はあなたであなたは私ということもいえるかもしれない。
そうすると、私はあなたは違うと思い込んでいるだけで、
もし、あなたの体にあなたの境遇で生まれたのなら、
私はまさしくあなたそのものではないか。

とどのつまり人はひとつの意識が自問自答しながら、
ある目的に向かって進んでいるだけで、
現実はその意識が見ている夢のようなものかもしれない。

とすれば、この列はいったいどこに続いているのだろう?
蟻にとっては列の先に食べ物があるわけだが、
人の列の先に待っているものはいったい何なのだろう?

隣りの奥さまが3時間くらいの爆裂トークののち席を立つ。
間髪入れずに別の奥さま二人連れが着席。
そして、まるでデジャブのように同じような会話がスタートする。

暇だと、妄想にも拍車がかかる。
明日は仕事しよ。

酔っぱらいの戯言 | 16:53:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
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