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とおりいる
 
実家でNHKをなにげに見ていたら「鳥居」についての番組だった。 
 
東京の自室の近所にある馬橋神社が出てきて、おっと思ったのだが、 
参道の入り口から中央、本殿への入り口に立っている 
3つの鳥居のそれぞれの高さが50センチずつ低くしてあるという。 
なぜなら、遠近法で参道が長くみえるから。ほかにも、 
 
東照宮の鳥居が立つ場所への石段の最後の2段の高さが数センチ短い。 
鳥居を大きく見せるため。 
 
伏見稲荷のぎっしりと並んだ鳥居の先きに見える出口の光は、 
神の威光を感じさせる演出。 
 
鳥居の語源が、願いが「通り入る」。 
って、現世利益? 
 
信仰というのは極めて個人的なことだと思うので、 
宗教について持論を振り回すのは愚かなことだが、 
宗教の本質ではないところのつっこみどころは、 
神さんをもて遊んでいる人の愚かさを目の当たりにするようで、 
おもしろくもあり悲しい。 
 
神さんに向かって投げ銭させることや、 
神さんに代わっておみくじのような当てもんを販売することや、 
ただの紙切れに高価な値をつけることや、 
シャーマンでもない人が型だけのお祈りをすることや。 
 
真理が本質からどんどんかけ離れていって、 
金銭や権威などの手あかがつきまくったのが既存の宗教というものなら、 
それは事実そうといえるだろうし、 
それをよりどころとして信じるのも人の自由だ。 
 
そもそも神さんの定義自体も、人が勝手にそう思っているようなものだが、 
ただ、その神さんを囲って商売しているような場所でも、 
そこにいるだけで感じる何かがある場所は、この地球上に数多くある。 
その何かが即ち神さんということではないかもしれないが、 
国や人々、はてはこの大地や空や海、地球にとっても 
大切な場所であるというのは、 
その地が長い年月奉られ続けてきたことからもまちがいないのだろう。 
人が手あかをつける前から、そういう場所はもともとそういうところなのだ。 
 
宗教によってその場所が守られてきたのなら、 
それはそれで意味はあるのかもしれない。

酔っぱらいの戯言 | 23:01:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
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