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日蝕後日
昨夜の晩酌は、栗焼酎「古丹波」の水割り。
あては、マグロ納豆、海老ととんがらし炒め。



それにしても、悪石島と
NHKで中継のあった小笠原船上の皆既日蝕見物ツアーの差は何なんだ。

ツアー料金はどっこいどっこいで片や暴風雨、
片や約6分間の黒い太陽、ダイヤモンドリング2回、360度の夕焼け。
これほどの落差。
あまりにもの差を目の当たりにして、
この世界に生きることに対して日蝕以上に不思議を感じてしまった。

皆既日蝕によって、ほんの数分の間に昼から夕方、夜から朝へという
自然現象の凝縮を見せてもらったが、
それに加え人生の不条理の縮図を見せてもらえるとは思ってもいなかった。
日ごろの行いなのか、魂のレベルなのか、
この差は一体どのような仕組みで起こるのだろうか?

こういうことを言うと、ついつい偶然だよと片付けがちである。
確かに出会い頭に交通事故に遭うのも偶然。
日蝕見物で嵐に遭遇するのも偶然。
友達と呑みに行ってお目当ての店が混んでいて入れないのも、
空いていてもお気に入りの席に座れるかどうかも、すべて偶然なのだ。
(これから呑みに行くんだけどね)

科学という人間が盲目的に信頼する認識においても、
皆既日蝕という現象自体、
地球から見て月が太陽と同じ大きさで見える確率は
偶然としてしか把握されていないし、
生命の発生ですらも偶然としか理解できていないのだ。

平たくいうと、世の中はすべて偶然の集合体である。
しかしながら人間は無作為にそれぞれ勝手に生きている訳ではない。
そこには必ず意識が介在する。
その意識のなかには当然無意識も含まれるが、
人はみな意図を持って行動していることは確かである。
それなのに、思うようにいかないことばかり。
人生はどうして偶然に支配されているのだろうか?

例えば、渋谷のスクランブル交差点。
青信号になる度に渡る人の数は時間差によってはまちまちだが、
同一時間帯ではほぼ一定だ。
自由意志というならば、信号ごとに
渡りきれないほどの人で溢れかえるとか、
逆に渡る人もまばらということもあり得るはずだが、
毎日毎日、同時刻帯においておおよそ同じパターンが繰り返されている。
まるで整理券でも配って、
あなたはこの回に渡りなさいと決めているかのように。

朝夕の勤め人は別として、
日中の行動パターンが自由な人々の数がどうして一定になるのだろう?
ある日、ふと映画を見ようと思う人や
デパートに買い物に行こうと思う人が沢山いて、
その日に限って渋谷の街が人で溢れ返ることがあってもおかしくはないが、
そういうことには絶対にならない。

つまり統計が成り立つ時点で、
人の行動は何かに影響されている。
偶然。それはきわめて綿密に計算された必然である。
そしてその必然の原材料は意識、その大部分を占める無意識なのだ。
集合的無意識。
これが偶然の正体である。

無意識というと自分ではどうしようもないと思いがちだが、
意思によってコントロールが可能である。
悪しき習慣は意思に寄って改善可能であるように、
人々の無意識の集合体である団体や民族や国家や
はたまた人類の集合的無意識も、
ひとりひとりの意思によって変わっていくのである。

そういう意味において、昨日の天気も偶然ではない。
日本列島のほぼ全域を日蝕から隠した雲。
日本の領土のなかで最適の観測地に、
まるで皆既日食にあわせるかのごとく神風のように襲った嵐。

さて次の一手なのだが、
嵐を選ぶか歓喜を選ぶかは、すべての人の意思にかかっている。
ってことでヨロシクね、みんな。


酔っぱらいの戯言 | 16:37:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
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