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アフリカ系ペルー人
昨夜の晩酌は、キリンクラシックラガーと芋焼酎「海童」の水割り。
あては、江戸前寿司とサラダ盛り合わせ。



BSで、またまた南米をあつかった番組があったので観る。
「地球に好奇心 アンデスに響く黒人音楽南米大陸・ルーツを探す旅」。

アフリカ系ペルー人女性歌手、
ペルーの国民的歌手スサーナ・バーカが、
奴隷として南米に連れてこられた祖先のルーツを、
ボリビア、チリを旅してたどるという内容。

ボリビアのポトシという町には大きな銀山がある。
かつてはそこで多くのアフリカ人奴隷が働き、
悲惨な境遇をしいられていた。
あるものは死ぬまで銀山で働かされ、
べつのものは、ポトシ近郊のかつてのボリビアの首都スクレ、
さらにはスペインに銀を運ぶための港があるチリのアリカという町へ銀を運び、
その地で農業奴隷として売られていったという。

19世紀半ばに奴隷が解放され、
彼らはポトシ近郊の村で暮らしはじめた。
特にトカニャという村は、
黒人たちだけで構成された村である。

黒人たちが今もなお伝え続けている音楽、
それがラ・サヤというアフリカをルーツとする音楽。
スサーナはトカニャ村の長老に自分の歌を披露するが、
白いものが混ざっていると一言。
その違いは日本人の自分にはとうていわからないものだが、
彼らにとっては血で感じるものであるらしい。

以前、ボリビアに行ったとき、
現在も採掘されている銀山の町ポトシや
多くのアフリカ奴隷たちが売られていったかつての首都スクレも
訪れたけれど、
黒人の姿はほとんど見かけなかったし、
かつてボリビアに黒人が奴隷でいて、
今もなお自分たちのアイデンティティを保ちつつ、
しかもボリビア人として生きているとはまったく知らなかった。
政府は黒人の存在をかくしていると彼らは言う。

南米はスペインに征服され、
言葉さえも奪われてしまった土地である。
しいたげられた原住民に加え、遠くアフリカの人たちも
奴隷としてしてこの土地で悲惨な目にあっていたとは。

しかしながら、スサーナと長老の会話のなか、
悲惨な歴史に恨みはあるか?というやりとりでは、
恨んではいない、恨んではだめなんだ。
そこからは何も生まれない。
大事なのは、自分たちの大切なものを子孫に残していくことだという。
それが祖先から我々が学んだことなんだと。

トカニャ村の人たちの歌と踊りは、アフリカをルーツとしつつも、
衣装といいい立ち振る舞いといい、どこかボリビア色がある。
彼らが生きているのはアフリカではなく、あくまでボリビアなのだ。
ある国に別の民族が生きていくというのは、
そういうことなのだ。
彼らは過去よりも今を生きることを、
自分たちの運命を受け入れ、
今いる場所で精一杯生きていくことを選択しているのだ。

チャイニーズとコリアンが世界の多くの国々でうとまれているのは、
過去の出来事や現実のありのままを見つめることなく、
自分たちの都合いいことばかりに固執して、
ほかの国の中に自分の国を作ろうとするからだ。

それは、民族や文化のアイデンティティを
内なる炎とするか、
外敵から身を守るための炎とするかの違いでもある。

日本でいうならば、例えば東京に住む地方人。
前者はほとんどの地方人。
後者は関西人と沖縄人。
ということになるかもね。



家呑み | 21:08:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
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